丸米醤油の次女である私は、
しょうゆ娘としてお醤油の楽しさをSNSなどで配信しています。
関東支部ひとり営業部長として、
マルシェにも出店したりと
「岡山倉敷の160年続く小さな醤油屋」の魅力を伝えています。
倉敷の醤油蔵は姉が継ぐために勉強を、
私は販売網を全国に広げるために
日々マルシェ販売や宣伝などをしています。
実は、社会人になってから
しばらくは家業とはまったく関係ない仕事をしていました。
就職で上京した時は
家業の「か」の字も頭になく、
美容が好きでエステティシャンを目指していました。
日々お客様に触れ、
美容の知識を深めていくにつれ、
「食」が美容に与える影響の大きさを実感するようになります。
美しくなるために必要なのは健康であり、
その為には何をどんな風に食べるかが重要だと気付きました。
どんなにケアをしても、
日々何を食べているかによって、
体のコンディションは左右されていると痛感しました。
そこから食材や調味料にも拘るようになり、
ふと手元をみた時に、
何気なく使っていた
実家のお醤油こそ最高の調味料だということに気がついたのです。
実家の醤油は塩分が低く、
添加物も必要最小限に抑えられていて
毎日食べる調味料としてとても優秀であることに辿り着きました。
160年続く小さな醤油屋がつくるこの醤油という万能調味料こそが、
最高の美容エッセンスだったのです。
そして、丸米醤油を使って
毎日心を込めて自分のために料理をしていくうちに、
自分の心も癒されていることに気がつきました。
今まで我慢していたことや、
いつも追われるように
周りの目を気にしていた自分が穏やかになっていったのです。
小さなころから
身近にあった丸米醤油に
ようやく目を向けた時、
父と母はすでに高齢で、
「このままでは丸米醤油は作り手がいなくなるのでは?」
という現実に直面しました。
このお醤油をなくしてはいけない。
そんな使命感が私の中で生まれたのです。
そして、このお醤油の魅力を東京にいる人に届けたい!
その思いを父に伝えました。
ですが、
当初は父は猛反対、
東京では岡山のお醤油は受け入れてもらえない、
どうやって売るのかと質問攻めになりました。
ですが、ここで諦めるのは悔しくて、
まずは「売れる」ということを証明しよう思ったのです。
どうしていいのかもわからなかったので、
試しに当時住んでいた街でお醤油の手売りをはじめました。
父に手のひらサイズのボトルに甘露醤油を入れてもらい、
近所の商店街で手売り販売をスタートしました。
街を歩きまわり、
道ゆく人に声をかけて一生懸命このお醤油の魅力を伝えたのです。
こうしてひとり営業部長の道をスタートしました。
今思うと、少し怪しい人だったなと思います。
ですが、声をかけていくと次第に買ってくれる方がでてきました。
自己紹介を工夫してみたり、
自分なりに試行錯誤して
お客様が
「じゃあ、1本ください」と言ってもらえた瞬間は
とても嬉しかったです。
その後、どうやってお醤油を売っていけばいいのか
知り合いにも相談し方法を考えるようになりました。
その後、知人の紹介でイベントで販売したことをきっかけに、
各地でのマルシェ販売がスタートします。
マルシェ販売が軌道に乗った頃に、
遠方でも購入したいというご要望に応えるように
通信販売をスタートしました。
お客様に丸米醤油が美味しかった!
と言ってもらえたことが嬉しくて
今の私があるのだと思います。
これからも丸米醤油の魅力と、
このお醤油がつくりだす穏やかな時間を届けていきたいと思っています。